「なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える」諏訪哲二、光文社新書、2007.

教育問題が、「我が子の学力」にばかり関心を集中している--21
「教育の私事化」現象が進んでいる--35
子どもが勉強しなくなったことには、時代的・社会構造的必然がある--40
子どもは自分の姿を客観的に見ず、自分の主観を客観だと勘違いしている--47
勉強しないことと比較しないことは同根--48
教育や学校の機能・働きのトラブルであった教育危機は、現在は学校や教育本体の危機--57
全能感を保持したまま社会的自己にならなくても生きられる時代には、勉強は不要--60
子どもは、自ら断念しなければ公共的な私になれない--63
子どもに負荷をかけない教育はあり得ない--63
「知」や文化は、人を規制するもの--75
人類は、文化的存在であると同時に自然的な存在である--77
学校は一階、塾は二階--102
勉強は、「自分」が外部の力によって「知」的に構成されていくプロセス--113
偽善は必ずしも悪ではない--119
子どもは、すべてを「個性化」して独自に受け取る--126
勉強とは、自分の内部に異質なものを受け入れ、自分を再構成すること--134
親の義務は、子どもに教育を受けさせる条件と整えること--170
親の望む方向が子どものためになるかどうかは分からないので、教育的に支配すべきではない--196
自分のことを全て自分で解決するのは不可能;しかし教育界は子どもにそれを求めてきた--205
「神」への恐れは、自分の判断を客観的なものとする--208
学校教育の目的=近代社会に生きていく幸せ、「私」の幸せが社会発展につながるという確信--214
なぜ勉強するか、という問いは、曖昧に答えること--224
「個」が一人では立てない--239
勉強することには覚悟がいる--254
○教育の本質について、鋭く論じた書。
○教育は甘いものではない、ということを主張している。