「信じない人のための講義」

中村圭志、みすず書房、2007.
信仰とは人間のイメージ能力の一種にほかならない--9【そのとおり】
宗教的発想=物事を、人間社会からではなく、神様の側から見ていくこと--34【御意】
社会を構成しているルールには、第三者=神様の手が入っていると言って構わないような側面がある--43
礼拝と筋トレの違いは、絶対的ではなく程度の問題;目的が分かりにくいのが宗教儀礼、分かりやすいのがトレーニング--48
解釈を考えること自体がキリスト教の営み;意味を最終的に確定できた人はいない--63
合理主義と神学的観念論とは、むしろ近似性が高い--69
一神教において重要なのは、唯一神という抽象的形象ではなく、神が歴史に介入していく具体的な一本の系譜があるということ--92
世界三大宗教」という言い回しには、高度な知的教理をもつ宗教を大宗教と考えるインテリ型偏見が隠されている--100
理屈より実践、という釈迦の主張そのもの反哲学的で、宗教的といえる--103
「宗教」という日本語は、何か特殊なものへの帰属を表す言葉となっている--176
宗教とは、何か目に見えない神聖な存在に向かって加護や救済を願うこと--179
宗教への二重の視点;(1)民族的伝統を超えた横断的意味世界、(2)宗教世界の意味は伝統毎に異なる--185
宗教は近代ヨーロッパに生まれた(独立した存在となった)とも言える--187
宗教は、世俗論理を超越すると同時に、世俗ゲームこそが宗教を密かに支えている--191
救済、修行は功利的な行い--201
宗教は、当事者には垂直的に、傍観者には水平的に見える--204
内部の人間よりも外部の人間のほうが、あっち側の世界のイメージを膨らませる嫌いがあるので気をつけなければならない--207
○大変示唆に富む、宗教論。